日本のコーヒーの歴史2

こんにちは

引き続き、日本のコーヒーの歴史について載せていこうと思います^ ^

さて前回は、日本人の鄭永慶が「可否茶館」という日本初のコーヒーハウスを開店したところまでご説明いたしました。

1888年の春に、アメリカ留学をして帰国後、官史や教育者を経て開店したそうですが、長続きしませんでした。

やはりまだコーヒー豆の流通量も少なく普及には至りませんでした。

本格的に普及し始めたのは、明治終わり頃からとなります。

コーヒー文化の先駆けとしてパンの会(コーヒー愛好家の会)という集まりがあります。
森鴎外が指導して1909年(明治42年)に創刊された文芸雑誌『スバル』のメンバーである北原白秋、石川啄木、高村光太郎、佐藤春夫、永井荷風などが日本橋小網町の「メイゾン鴻の巣」というお店を利用して毎月会合を開いていていました。
フランス料理のお店で深煎りのコーヒーが提供されていたそうです。

明治から大正にかけて、お店は増えていきましたが、本格的に流行したのは[カフェ パウリスタ]というお店です。
開店当初こそ文化人が集う社交場でしたが、大衆も立ち寄れる価格や雰囲気で大繁盛して大正時代の最盛期には20余りの店舗ができました。

今も営業されているお店です。
参考までよろしければ
http://www.paulista.co.jp

今回はここまでにします^ ^